チンジャオロース専門店

これは、何処にでもいる、本当にありふれた会社の先輩後輩のお話。
今日は華の金曜日。二人は週次報告を終え、お互いに一週間の労をねぎらい近くの居酒屋にいた。

仕事、悩み、近況など、あらかた話し終えた二人の間には、一旦会話がストップしていた。
テーブルの上では、枝豆の殻が山になり、鶏の唐揚げも残り1個。3杯目の生ビールは、飲むペースもかなりスローペースで、半分以上残っているのに、
グラスの中でみるみる常温に近づいていた。
そう、この楽しい飲みも終わりを迎えている、そんな場面。その中、唐突に後輩が口を開いた。

「先輩先輩、チンジャオロース専門店って知ってます?」

「………専門店?有名店とかじゃなく?」

「はい、専門店です。チンジャオロースオンリーです。」

「…………ほぅ?」

一旦話が落ち着いたとは言え、唐突に出るチンジャオロース専門店、パワーワードがすぎるこの会話はいわゆる『脳死トーク』である。
最近二人で飲む時は、一通り会話を話し終えた後に『脳死トーク』するのが流れになっている。
一見変な流れに感じるかもしれないが、歴が増え続ける職場では後輩が増え、お互いに妻子を持ち、嫌でもしっかりとしないと行けない立場だ。
そんな大人でいないといけない日々から、どこかで気を緩める必要があったのだろう。いつの日か、いつの日からか、どちらからはじめたのかは定かではないが、
今となっては意味不明な会話に身を委ねる時間が、互いにとって最高の息抜きとなっていたのだ。

「その店、めちゃめちゃ美味しいらしいんですけど、か・な・り癖強いらしんですよ」

「へー、名物の頑固亭主がいるとか?」

「それもあります、ただ全体的に癖がつよつよらしいです」

「つよつよねぇ………」

先輩も後輩ももう互い最後の一杯だろう、常温になりかけているビールを手に取り、残りの配分を確認しつつ飲み入れる。

「で、その店、2人用の席が数席しかない狭い店内なんですけど、その2人用の席がチンジャオ席とロース席って分かれてるらしいんです。」

「は?席の名前?」

「そうなんです。奥のソファ席がチンジャオ席で手前の椅子がロース席らしいんです。しかもその席、来店した客が座る場所間違えると店員に指紋とられた後『おひきとりください』って言われて退店させられるらしいです。あ、あともちろん2人組以外も入店拒否らしいです。」

「まって、ごめんごめん。情報量多すぎてついていけてない。え?」

奥のソファー席がチンジャオ席に、手前の椅子がロース席、2人組以外は入店拒否で座る方間違えたら指紋取られてお引き取りください?
本当に意味不明な情報過多、一旦頭で整理するために、先輩は物理つまみ、残り少ない枝豆を口に入れ、口を動かしながら酔っぱらった頭を働かす。
それは理解するためではない、ついていくためにだ。

「ですよね、びびりますよね。2人の座る席のルールって何だと思います?」

「……んー、男女とか?」

「先輩そんなこと言っちゃだめですよ、今の時代だとその発言アウトですよっ!」

ケラケラと笑う後輩。
言った瞬間、確かに。と思ったが、こんな会話で『今の時代を感じたくないわ』というなんとも味わい深い感覚。

「いわいる上座がチンジャオ席で下座がロース席らしいんです。」
「あー……、なる程ね?」

「そうなんです、……何か引っかかります?」

「いや、チンジャオって中国語でピーマンって意味じゃん?なら上座はロースの方がよさそうだけどね?」

「…………」

「…………」

先輩の目を見て黙っている後輩、会話のターンは後輩なのでおのずと黙る先輩。
二人は黙って目を合わす。

「っぶ……!チンジャオって中国語でピーマンなんですか!?」

間を置いてから笑い出す後輩、遅れて先輩も、そこに引っかかって止まって笑った後輩につられて笑う。
実にくだらない、でも面白い。それは、頭の中を空っぽにして、ただ互いに言葉を交わすこの時間が、何より心地よい証だった。

「ちなみにロースはローが豚肉でスーが細切りって意味だよ。」

「へー、ロースじゃなくてローにもスーにも意味があるんですね。でも………」

後輩は顎に手を当てて、一瞬考え込む。
しかし後輩が口を開く前に先輩が先に口を開いた。

「……、細切り豚肉なら……チンジャオかなぁ……」

「……確かに、チンジャオですね」

うんうんと謎に共感しあう二人。
肉ならロースが勝ちだが、ローでスーで細切り豚肉ならピーマンの勝ちなのだ。
詳細は聞かないでほしい。

「そうなると上座がチンジャオ席で、下座がロース席には納得ですね。」

「そうだね、ここで足踏みしてたら一生出れないしね。」

「そですそです、なのでこの際、2人組以外入店拒否も丸呑みしちゃいましょう。」

「だな、チンジャオ席とロース席しかないのに2人組以外で来るのがむしろおかしく感じてきたわ」

「いいですねーその意気です。あと何か引っかかってるところあります?」

んー?と天井を仰ぎ悩む先輩。
問題点は一個一個と大雑把に取り除いているが……それでもまだ突っ込みどころは満載だ。

「なんで指紋とられるの?」

「罪びとって指紋とられません?」

「………そんな重罪なんだ…。でも……指紋取ってどうするの?」

「………え?」

「いや、指紋とっても。後日また来ちゃえばバレないんじゃない?」

「………そんな……。」

「そんな?」

「そんなの、めっちゃ気まずいじゃないですか!どうするんですか?指紋再度取られてこの指紋は以前に登録したことありますってなっちゃったら!」

「えっと……警察?」

「警察は民事不介入です!」

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